春になればうんとあくびをして、冬の窮屈さを吹きとばす。また、新しい気持ちで何かを始めたくなるのはどうしてだろう。毎年やってきてはさらさらと流れていく春なのに。だから私のブログは大抵春に書かれていて、そのうち夏の慌ただしさに忙殺されて、いつの間にか立ち消えていくのです。夏が忙しいのは畑の盛りだからで、それはうんざりするほどに忙しく、今年も重い腰をあげて、再びあの闘いに挑んでいくーくらいの士気を持っている。私ひとりの手には有り余るのだが、畑の維持管理をすることは賃貸契約に基づいているから、もうどうしようもない。毎年、半泣きになりながらせっせと励んでいる。
ひと頃の私は唐津と道東を行き来し、犬を飼い始め、水産や畜産の仕事をしていたのだった。ついでに言うと将来を憂いた結果、通信教育も受けている。新型コロナウイルスワクチンを二回接種し、ポイント欲しさにマイナンバーカードも取得した。全く現代を生きている。 最近読んで心底よかった本はミン・ジン・リーによる「パチンコ」で、これは在日コリアンの物語だ。日本では在日という禁忌的なフレーズからか、あまり話題にはならなかったようだが、偏見なく広く読み継がれてほしいと思った。 最近観て心底よかった映画は富山を舞台にした「真白の恋」で、軽度の知的障がい者の恋愛を描いている。富山の風景の美しさもさることながら、障がいを持つ主人公の心の成長や、登場人物それぞれの機微が丁寧に拾われていて、誰にも感情移入してしまう涙腺ズタボロ物語です。 私は息も継げなくなるほどに心をがしっと掴まれて、涙で視界が遮られても、それでも読まずには(観ずには)いられない物語が大好きで、そういう物語に巡り会えたとき、心から「生きていてよかった」と思う。 今日は3月20日。地下鉄サリン事件は27年前のこの日に起きた。ここ数年、個人的にオウム真理教について調べている。きっかけは2018年の教祖・麻原の死刑執行だと思う。麻原は熊本県八代市の生まれで、八代は水俣病が発生した水俣湾に隣接している。麻原には視覚障がいがあり、兄は全盲である。麻原もとい松本家は貧しく、泥底に棲息するシャコをよく食べていたと言う。しかし、水俣病被害者申請をするも却下されている(これは八代に住む多くの人がそうであった)。このような背景から無差別とはいえ、政治権力の中枢である霞ヶ関を標的にしたのではないかと思われる。と、好き勝手に推察するが、死人に口なし、今となってはその真意は測り得ない。そして私も、まだ水俣には行けていない。
0 Comments
東京オリンピックの聖火リレースタートの報道におどろいた2021年春、うららかな朝。
新しい生活様式らしきものにもすっかり慣れ、むしろ親しみというか愛着すら覚えている。大規模イベントなどできるはずもないと、道徳的な解釈でもって捉えていたのだけれど、わたしの道徳は結局のところ現実世界と大きく乖離しているようだ。当然のように2021年夏には開会されるのだろうか。東京に、日本に、どこにもいたくない。 しぶとく生き耐えた一年。 ようやっとわたしが、わたしは、わたしであると思える生活ができている。いろいろなものを失いながら、こつこつ積み上げたこれまでの瑣末かもしれなかった努力と、だけれどもささやかな幸福の時間。経済が大きく回転し始めることで、再び失われることが、正直に怖い。 打鍵しているラップトップ、日差しに反射する画面、わたしの背後を桜の花びらがそよそよと舞っていく。いつ、どこにいても、変わらない生活がほしい。そう嘆きながら、今日もわたしはスマートフォンを手のひらにのせ、他者が生んだ音楽を指ひとつ使って再生する。じりじりとすり減らしていくだけの暮らし。 今月末に借りていたアパートを手放すことに決めた。ひとつ、またひとつと、所有することによって線引きしていた他者との境界を曖昧にしていく。開かれた世界。それはわたしが太極拳を通して見ているものと似ているように思う。心を捉え、百会から丹田へと貫く一本の芯(軸)があり、名門と湧泉へむけて枝分かれし、花開くように外の空間へ繋がっていく。季節によって、天候によって、はたまた環境(土壌、場所)によって花は開いたり閉じたり、ときにはゆれたり散ったりもする。 相変わらずわたしは気の抜けたサイダーのような毎日を過ごしていて、懸命に生きた証など当然持ち合わせるはずもなく、それでも今を生きている。 わたしは怒っていた。そう気が付くまでに随分と時間がかかってしまった。大人になるにつれて怒らない癖がますますつき、経験上怒っても仕方がないとか、疲れるだけだとかネガティブなイメージのせいで、だから極力怒ることを避けるという癖。大体「へえ」とか「ふうん」といった返答で受け流し、心中は呆れているか軽蔑しているかのどちらかだ。でもやっぱりあの時わたしは怒っていたのだ。という出来事が数日前にあった。怒りを表現していないから、こだまのようにわたしの内面にへばりついて、消えない。結局のところ、怒るという感情を心が握った瞬間に、表現の有無に拘らず感情は昂っているに違いない。自分にもそんな節があるとわかっていつつも、他者の無神経さや思慮の浅さを感じるときがある。そんなとき、ひとはどんなふうに心を処理するのだろう。そもそも真に無神経なひとは自分にもそんな節がある、などとは思わないのではないか、というのは傲慢なことか。自分の浅ましさにうんざりする。全く、わたしのことを恵まれてないとラベリングすることは失礼千万。そうやって他者を自分の都合で解釈することもまた等しく、浅ましい考えだと思う。わたしは短い生涯の中で、生きとし生けるものをはじめとするあらゆる万物を十全に理解する、ということは限りなく不可能なことだと考えている。自分自身のことですらままならない混沌な日々の中で、霧を掴むような気持ちで、霞を食べながらも精一杯どうにか毎日を生きている。
ブッダは自己を形成する要素を五蘊(ごうん)という「色・受・想・行・識」5つの要素で考えたという。「色」=外的情報があり、「受」=感覚があり、「想」=意識があり、「行」=意欲があり、「識」=知識・経験に基づく判断がある。これは脳でそれぞれ「後頭葉・海馬・左前頭葉・頭頂葉・右前頭葉」にあたる。また『複雑系理論』でウォルター・フリーマンは、情報がこの5つを竜巻のように高速で行き来することで大域的アトラクターが成立し、無意識が有意識へと変わると唱えている。そして「受」を静める行為こそが禅における座禅修行なのだという。 ふと、茨木のり子の「自分の感受性ぐらい 自分で守れ ばかものよ」という叱咤の言葉が思い出される。みずから水やりを怠っておいて、ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにしていた自分にはたと気付かされた。 文芸誌『新潮2021.3永久保存大特集 ー創る人52人の「2020コロナ禍」日記リレー』を市内の書店で購入した。都心部では初版完売、重版出来待ちとのこと。コロナ禍の一年、滝口悠生や柴崎友香、植本一子など、とにかく同じ時代を生きるだれかの日記を読み、そうして心を落ち着けてきた。他者の気持ちをありありと感じ、身を委ねることの心地よさに浸っている。過去に経験したことのない事態にあまりにも脆く面食らうわたしたちはときどき言葉を失い、ただ無力にやり過ごすことしかできない日常を消化してくれる言葉を探してしまうのかもしれない。感情さえ消費することを望んでいる自分に失望しつつ、それでも読むことも書くこともやめられずにいる。昨日、一日の新規感染者数が2,000人を下回った。これが少ないのか、どうか。何人を下回ったところで以前のような生活に戻れるのか。そもそも数字に信用と意味はあるのか。実感が伴わず、何もわからない。規模を縮小した営業形態になり、ちょうど一年である。ちょっと開けたりしばらく閉めたりして感じたことは、密集や密接を回避することは限りなく難しくて、もしそれに重点を置くのなら、ゲストハウスはゲストハウスたり得ず、わたしの心もまた、今この時期にゲストハウス然とすることに躊躇し、釈然としない気持ちを抱いてしまっている。わたしは臆病者だから、やっぱり感染したくないし、こわくてその先の将来は考えられない。自分や他者を感染させず、生活を延命するためにわたしたちはいろいろな団体から支援を受けている。だから当分は夏ごろからひっそり取り組んでいる宿のリニューアルやわたし自身のリフレッシュというか再定義というか再構築というか、そんなものに専念しようと思う。宿のほうはこつこつと設備投資したりしていて、今はそれに加えてホームページやSNSの見直しをしているところ。現段階ではSNSを減らし、ホームページを縮小移設する代わりに時代遅れ甚だしいプッシュ配信の代名詞、メールマガジンなぞを始めようと考えている。一年かかってようやっとちらと見えた一つの光ある道すじ。遅すぎる冬眠。いつもと変わらないわたしの長い前口上。それではみなさんまた来る春に会いましょう。
この街は 悪疫のときにあって 僕らの短い永遠を知っていた 僕らの短い永遠 僕らの愛 僕らの愛は知っていた 街場レヴェルの のっぺりした壁を 僕らの愛は知っていた 沈黙の周波数を 僕らの愛は知っていた 平坦な戦場を 僕らは現場担当者となった 格子を 解読しようとした 相転移して新たな 配置になるために 深い亀裂をパトロールするために 流れをマップするために 落ち葉を見るがいい 涸れた噴水を めぐること 平坦な戦場で 僕らが生き延びること 「愛する人(みっつの頭のための声)」ウィリアム・ギブスン 今年に入りメールの調子が悪かったから、これは、と思いソフトウェアアップデートをしてみた。そうして新たに立ち上がった画面上、自動的に開かれたひとつの詩。
どういう仕組みでそうなったのか知らないけれど、過去にサミュエル・ベケットについて調べていたときにたどり着き、偶然出会したその詩をしばらくの間、なんとはなしにインターネットのタブに残しておいた時期が確かにあった。 「この街は悪疫のときにあって(、そんな)平坦な戦場で僕らが生き延びること」というふうな解釈を当時(昨年の春頃のこと)はしていたような気がする。平坦な、どこまでも続いていくような果てしのない戦場にも思えるこの地球上で、僕らが生き延びること。その意味について。(、そんな)の連なりにある生活。 緊張に欠ける二度目の緊急事態宣言。指数関数的に増え続ける感染者とそれに続く死者。実感を伴わない羅列された数字。こうしてさまざまに起こる変化にも慣れきってしまうのだろうか。他者との距離が開かれていく。個人的空間。排他的社会。 懐かしささえも失って、味がしない。もはや思い出せないことの方が多くなってきている。それでもなお、だからこそ(、そんな)の中に愛おしさがあり、豊かさがあり、よろこびや悲しみがあり、その他表現にすら至らないような取るに足らない些細な感情の揺らぎがあるということ、それこそが生に満ちたものである。あなたはあなたであり、わたしはわたしであり、あなた(わたし)でありすればそれでいいと自分を、他者を赦し、受け入れる行為の現実に対する儚さと脆さを今は痛いほどに感じるけれど、尊厳だけは失くさないようにあなたの(わたしの)最も大切なポケットに仕舞って。 |