唐津ゲストハウス 鳩麦荘
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生きている人が死について考える

19/7/2020

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同世代の訃報。死ぬこと、死を選ぶこと。生きること、生を選ぶこと。死と生(もしくは生と死)は同列に語られうるのか。その繰り返し。今日もまた、じょうずに人の死を手放せずにいる。4月6日のツイートと同じ。検索窓に「自殺 倫理観」と打ち込み、拾った羅列をもとに「ウィトゲンシュタイン 自殺」と打ち込む。

"Wenn der Selbstmord erlaubt ist, dann ist alles erlaubt. 
Wenn etwas nicht erlaubt ist, dann ist der Selbstmord nicht erlaubt. 
Dies wirft ein Licht auf das Wesen der Ethik. 
Denn der Selbstmord ist sozusagen die elementare Sunde. 
Und wenn man ihn untersucht, so ist es, wie wenn man den Quecksilberdampf untersucht, 
um das Wesen der Dampfe zu erfassen. 
Oder ist nicht auch der Selbstmord an sich weder gut noch boese."


彼は著書『論理哲学論考』の中で「死は人生の出来事ではない。人は死を体験しない」のであり、したがって「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」と述べている。ネットニュースを見るのが怖い。この空間にテレビがなくて、ほんとうによかった。ずっと気になっていた文化誌「庭」の『庭vol.3.0 生きている人が死について考える』をポチる。到着まで10日ほどかかるとのこと。無意識のうちでそれまでわたしは生きているつもりでいて、生きるということは結局そういった微分の繰り返しなのではないかと思った。

死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。 着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい 縞目 ( しまめ ) が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。
『葉』太宰治

わたしは今純然と生きていて、それは生きていることに違いなく、だから「生きている人が死について考える」。いつまで生きている人の側なのか、おそらく死ぬまでだろう。死んでしまっては残ったもの以外残らない(残せない)。生物で唯一、人間だけが持つ能力である「(自身もいつか)死ぬことについての認識」が「(自らにいつでも)死ぬことも可能」であるといった選択の余地に歪んでしまっている事実が悲しい。
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