この街は 悪疫のときにあって 僕らの短い永遠を知っていた 僕らの短い永遠 僕らの愛 僕らの愛は知っていた 街場レヴェルの のっぺりした壁を 僕らの愛は知っていた 沈黙の周波数を 僕らの愛は知っていた 平坦な戦場を 僕らは現場担当者となった 格子を 解読しようとした 相転移して新たな 配置になるために 深い亀裂をパトロールするために 流れをマップするために 落ち葉を見るがいい 涸れた噴水を めぐること 平坦な戦場で 僕らが生き延びること 「愛する人(みっつの頭のための声)」ウィリアム・ギブスン 今年に入りメールの調子が悪かったから、これは、と思いソフトウェアアップデートをしてみた。そうして新たに立ち上がった画面上、自動的に開かれたひとつの詩。
どういう仕組みでそうなったのか知らないけれど、過去にサミュエル・ベケットについて調べていたときにたどり着き、偶然出会したその詩をしばらくの間、なんとはなしにインターネットのタブに残しておいた時期が確かにあった。 「この街は悪疫のときにあって(、そんな)平坦な戦場で僕らが生き延びること」というふうな解釈を当時(昨年の春頃のこと)はしていたような気がする。平坦な、どこまでも続いていくような果てしのない戦場にも思えるこの地球上で、僕らが生き延びること。その意味について。(、そんな)の連なりにある生活。 緊張に欠ける二度目の緊急事態宣言。指数関数的に増え続ける感染者とそれに続く死者。実感を伴わない羅列された数字。こうしてさまざまに起こる変化にも慣れきってしまうのだろうか。他者との距離が開かれていく。個人的空間。排他的社会。 懐かしささえも失って、味がしない。もはや思い出せないことの方が多くなってきている。それでもなお、だからこそ(、そんな)の中に愛おしさがあり、豊かさがあり、よろこびや悲しみがあり、その他表現にすら至らないような取るに足らない些細な感情の揺らぎがあるということ、それこそが生に満ちたものである。あなたはあなたであり、わたしはわたしであり、あなた(わたし)でありすればそれでいいと自分を、他者を赦し、受け入れる行為の現実に対する儚さと脆さを今は痛いほどに感じるけれど、尊厳だけは失くさないようにあなたの(わたしの)最も大切なポケットに仕舞って。
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